つまみ読みベストテン

長谷邦夫『マンガ編集者狂笑録』
萩元晴彦・村木良彦・今野勉『お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か』
白坂依志夫『脚本家 白坂依志夫の世界』
松崎明宮崎学松崎明秘録』
坂本慎一『ラジオの戦争責任』
鈴木敏夫『仕事道楽 スタジオジブリの現場』
土本典昭・石坂健治『ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家土本典昭との対話』
野村克也野村再生工場 叱り方、褒め方、教え方』
宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義』
春日太一『時代劇は死なず! 京都太秦の「職人」たち』

中岡*1が興味深いエピソードを語ってくれた。
勝は市を演じながらカメラの後ろに立つ。その視線はゲストの芝居に向けられる。そして彼のイメージを画面に叩きつける。そのため、そのシーンでの市の存在を忘れてしまう。
「勝ちゃん、市が写っとらんがな」
作品世界が、市と一体化した勝新太郎の視線からのものになってしまっているのである。
(「第二章 大映・勝プロの葛藤」 p.119-120)

新・座頭市 第2シリーズ DVDBOX

新・座頭市 第2シリーズ DVDBOX

たとえば、映画のサントラがあれほど揃っている店は、渋谷にある「すみや」というレコード店と、六本木WAVEだけだったでしょうね。いまでは、サントラがあるのもあたりまえになっているけど、当時はちがった。
ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』のサントラが「すみや」に20枚だけ輸入されたという、当時のエピソードがあります。その20枚をぜんぶ買ったのが、その後、「渋谷系のグル」と呼ばれた、ある音楽プロデューサーです。どうしてそんなことをしたのか。「他人に聴かせない」という理由だったらしい。
(「第4回 YMOの毒、<クリエイティヴ>というイデオロギー」 p.134-135)

東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002)

東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002)

「ぼくの伯父さん」~ジャック・タチ作品集

「ぼくの伯父さん」~ジャック・タチ作品集

http://www.rakuten.ne.jp/gold/sumiya/

「おまえ、まさか八百長やってないだろうな!」
最初は受け流そうとしていた江夏だが、私の剣幕におののいたのか、真剣な表情になって「絶対にやってない」と抗弁した。だが、私は引き下がらなかった。
「おまえがそういうピッチングをするたびに、“怪しい”と思う人がいる。そういう人たちの信用を取り戻すには、言葉ではダメだ。マウンドの上で、態度で示すしかないんだぞ!」
江夏はしばらく黙っていたが、やがてこうつぶやいた。
「そんな言いにくいことをはっきりいってくれたのは、あんたがはじめてや……」
(「第三章 再生の極意は気づきにあり」 p.126-127)

左腕の誇り 江夏豊自伝

左腕の誇り 江夏豊自伝

僕も製鉄所のPR映画の現場を知っているし、鉄道マンやタクシー運転手の労働を撮ったけど、『鉄西区』でもどかしいのは、繰り返し登場する仕事場があって、溶鉄を流しながら何かを作っていくわけですが、それがどういう労働なのかが、何回観ても見えてこないんです。そういう労働が、個人的な職人芸ではなくて、一種の完成した構造の中に組み込まれていて、それで工場がずっと稼動してきたのに、もはや時代遅れになって、その工場が滅びていくというドラマだと思うのだけど、彼らが汗を流している労働の世界が、僕にはモノとして具体的に見えてこない。労働者が動き回ったり、休憩室でくつろぐ姿は伝わるけど、彼らにとっての労働の世界とは何だったのだろう、というのが見えてこない。それは作家の興味の持ち方なのかな。そういうことに作家は興味を持っていないな、と僕には感じられる。
(「第五章 失われた九〇年代、そして現在」 p.330-331)

ドキュメンタリーの海へ―記録映画作家・土本典昭との対話

ドキュメンタリーの海へ―記録映画作家・土本典昭との対話

YIDFF: 刊行物: YIDFF 2003 公式カタログ

テレビアニメが全盛で、劇場用アニメーションを作る条件が失われつつあるときで、いろいろ引き抜きがあったりして、アニメーションの世界が大荒れに荒れていた。このとき、東映動画労働組合の副委員長だった高畑さんは組合大会で演説をぶったそうです。「いまこそ、みんなで働く場を守らなければならない。この会社を辞めずにがんばることが大事だ」といった趣旨で。宮さんも組合執行委員だったんですが、この演説を聞きながらハラハラした。「あんなこと言わなきゃいいのに」。というのは、高畑・宮崎の二人は一週間後に辞めることが決まっていた(!)
(中略)
それがわかると、あんなカッコいい演説をした後だから、みんなに詰め寄られた。「言うこととやることが違うじゃないか!」ところが高畑さんは一歩もひかない。この詰問にどう答えたか。「副委員長・高畑としてはたしかに言った。副委員長として正しいことを言った。しかし、個人・高畑は違う!」
(「5 高畑勲の理論と実践」 p.117-118)

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書)

鈴木貫太郎内閣が恐れたのは、アメリカ軍というより「一億玉砕」を叫びつづける国民であった。阿南惟幾陸軍大臣が最後まで戦争続行を主張したのも、この国民の頭をどうやって冷やすのか、その手段がないという理由からであった。下村は、国民をそれほどまでに熱狂させているのはラジオだと見破り、その力をこの上なく強力にする方法として天皇による放送を考案した。その計算のとおり、天皇による放送は劇的な効果を発揮し、世論を一気に終戦へと変えた。マッカーサーは「最後の一人まで戦う」と絶叫していた日本人が、急に戦争をやめた様子を見て、世界史上まれに見る見事な終戦だと絶賛した。
(「第五章 玉音放送の仕掛け人 下村宏」 p.233)

ラジオの戦争責任 (PHP新書)

ラジオの戦争責任 (PHP新書)

終戦秘史 (1950年)

終戦秘史 (1950年)

日本のいちばん長い日 [DVD]

日本のいちばん長い日 [DVD]

ラジオスターの悲喜劇。 - 4310

「労使協力」だって、いくらこっちが言ったって、こちらの力が弱ければ何も通らない。強ければ妥協してくる。問題は力関係なんです。そこがこちらは分かっているから、主張できる要素さえ残しておけばいい。「合理化反対」とは言わない。「必要な合理化はやる」とは言うわけです。「必要」というところがミソで、無条件で賛成とは言わないということです。合理化の際は、健康と安全が担保されなければならない。そういうことを条件に入れながらやっていく。合理化、人減らしの協議をやってもいいが、将来展望を出してくれと言う。展望のない合理化なんかやらない、そういうことです。
(p.203「第二部 労働者と組合運動を語る サンジカリズムと労働組合主義」)

松崎明秘録

松崎明秘録

♪うっらっぎーり者のー、名をー受けてー - 4310

田中重雄監督のことを、撮影所の人は、かげでは“インド・マーク”と呼んだ。
茨城ナマリのある人は、しゃべる時、“え”が“い”となることは知っていたが、文字までもそうなるとは思わなかった。
田中さんのコンテは、
「ここで、インドマーク、かぶる」といつでも書いてあったのである。
新宿にあった、その頃各社が使っていた旅館「ととや」で打合せが終わったあと、プロジューサーの藤井氏*2が、別の監督と話をしている間、外へ出て、駐車場に入るとすぐ、
「白坂くん」
私を呼びとめた。
「ヌード音楽って、何だい?」
一瞬、何のことか分からなかった。
「ヌードってのは、裸だろ?裸の音楽ってどういうこと?」
あ、そうかと思った。
ラブ・シーンの背景に、
「流れているムード音楽」
と、書いたのだった。
(「白坂依志夫の人間万華鏡 美輪明宏の巻」p.232)
http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/t0230603.html

永すぎた春 [DVD]

永すぎた春 [DVD]

TBSの報道局の中では、六六年秋に萩元、村木が寺山修司、岩月昭人などと組んで作った「あなたは…」放送以来、テレビドキュメンタリーとは何かをめぐっての対立が表面化していた。「テレビジョンとは何か」という問いかけを番組制作の全過程の中心軸としてつきつめていこうとする二人の試みは、「報道番組に混乱を持ちこむ」として大多数の報道部ディレクターやニュースマンたちから批判され攻撃されていた。二人と、二人を支持する少数のスタッフは孤立し、外部からの注目が大きくなるにつれて批判も大きくなり、早くも固定化しようとするテレビジョン概念を打ち破る闘いは、苦しい、苦難な道を歩んでいた。
それまで、テレビドキュメンタリーというと、「日本の素顔」から「ノンフィクション劇場」、「現代の主役」に至るフィルム番組の系列だけがその中心として考えられていた。その視点からは、「夫婦善哉」や「アベック歌合戦」をテレビドキュメンタリーとしてとらえる作業はこぼれ落ち、事件や人間をフィルム構成で描くことだけが主な方法として考えられていた。イメージとイベントへの執着。このことは、お芝居を作ってテレビカメラでうつしとるだけのテレビドラマの制作者たちや、「客観的事実」の幻想にとらわれたニュースマンたちの意識でも全く同様である。
(「II章 倒錯の森の中で……」 p.160-161)

お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫)

お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か (朝日文庫)

−先生、しばらく長篇はやめにしましょう。なぜって、どこの連載を読んでも、先生の作品らしくおれには思えないんです。過去の手塚治虫が薄まっているだけだ。だから、各誌がやめてしまったと思うんです。おれはひでえ呑兵衛ですから、水で割ったりソーダで薄めたりの酒は大嫌いです。いいですか、怒らないでくださいよ。先生、おれはね、先生の担当作品で一遍だけでいいから酔っ払ってみてえ。それだけです。それができたら、おれは編集長なんか辞めちまってもいい。ですから、今度は通しのキャラクターでもいい、毎回読切りで描いてください。
(「酔わせてみせろよウソ虫 壁村耐三の巻」p.232)

マンガ編集者狂笑録 (水声文庫)

マンガ編集者狂笑録 (水声文庫)

実話系いろいろ。 - 4310

*1:中岡源権/なかおか・げんごん:照明技師。1928年奈良県生まれ。近作に『豪姫』「御家人斬九郎」『隠し剣 鬼の爪』ほか。

*2:藤井浩明/ふじい・ひろあき:映画プロジューサー。1927年岡山県生まれ。市川崑増村保造作品を数多く製作。他に『憂国』『利休』『ムルデカ17805』ほか。