劉文兵『中国10億人の日本映画熱愛史』

図書館で見つけて遅ればせながら読みましたが
いやはや面白いエピソード満載。
文革直後の中国で一般公開された日本映画第一弾(1978年)、
とりわけ『君よ噴怒の河を渉れ(公開題:追捕)』と
ƒTƒ“ƒ_ƒJƒ“”ª”ԏ©ŠÙ@–]‹½(公開題:望郷)』の受け止められ方が
スゴかったんですね。
君よ憤怒の河を渉れ [DVD]

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私自身、この映画を野外上映で見た経験もあります。野外に巨大なスクリーンが張られ、その正面の一等席に一万人が陣取り、さらに八千人ほどの人々がスクリーンの裏側から裏返しの画面を観ていました。(p.12、映画監督・張芸謀さんの証言)

二十数年前に九インチの白黒テレビをとおして観たこの映画は、そのなかに現れたすべてが、我々が置かれた現実とは異なり、まるで異星人の世界のようだった。(p.23、映画研究者・張[巨頁]成さんの証言)

みんな競って矢村警部(原田芳雄)の格好を模倣してトレンチコートやサングラスを購入し、髪の毛を長く伸ばすようにしました。(p.24、歌手・牟玄甫さんの証言)

中野良子が演じる、命を賭けて愛を貫こうとするヒロイン真由美の姿は、資本主義国の女性にたいするステレオタイプを形成しただけではなく、強い意志を湛えたまなざしや機敏な仕草といった彼女の演技の特徴は、のちの中国人女優の劉暁慶やコン・リーの演技にもある程度の影響を与えたのではないかと思われる。(p.29)


サンダカン八番娼館 望郷 [DVD]

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私は、苦労の末に、無二の親友のために一枚の深夜一時半のチケットを一枚手に入れました。その友人は夜一〇時に就寝し、目覚まし時計で深夜一時に起き出して映画館に行きました、終映は三時過ぎ。帰宅して少し睡眠をとったあと、また出勤しました。(p.35、映画館に勤務していた人の証言)

チケットは定価の一角五分では手に入れることはできず、ダフ屋の値段はその一〇倍以上の二元にもなっていました。それでも四、五回も繰り返し見た人が少なくなく、観たあとに誇らしげに人に言い触らす者もいました。(p.35、一ヶ月後にようやく観ることができた人の証言)

『サンダカン八番娼館』を観て初めて、日本の労働者階級が、我々の前の世代と同じく、旧社会のなかで苦しみに喘いでいたばかりでなく、日本軍国主義による侵略戦争の犠牲者であることがわかった。(p.38、当時の映画評)

この映画を通して初めて「娼婦」という言葉を耳にした観客や、あるいは初めて女性のヌードを見た若者も少なくなかったという。(p.39)

ある青年は、「『サンダカン八番娼館』は社会に悪影響を与えるピンク映画だ。もともと我々は売春宿なんか全く知らなかったのに、この映画を通してたくさん醜悪なものを目にした」と言う。しかし、中国の若者は醜悪なものや暗黒面を知らなくていいのであろうか。わが国の人民も、かつての腐敗した社会の暗黒から立ち上がってきたのではないか。病気の存在を知らないままで、いつまでも健康を保つことができるであろうか。(p.43、脚本家・曹禺さんの論説)

"そっち方面"への好奇心満々なお客さんたちに
旧敵・日本人へのイメージ好転のみならず
思想解放まで促しちゃうなんて、
さすがは"正義の映画作家"熊井啓監督。


そしてその後のヒット作とその理由。


人間の証明(人証)』(1977/佐藤純弥)

延々と続くファッションショーのシーン、コスモポリタンな都市風景、頻発するズームショットやフラッシュバック、ディスコ調のBGMなど、『君よ憤怒の河を渉れ』以上のスペクタクルをもって「豊かな日本」のイメージを中国の観客に提供したのであり、とりわけジョー山中が歌う主題歌が一世を風靡した。(p.48)

70年代はトレンディ作家だった純弥監督(息子さんは『ごくせん THE MOVIE』)


アッシイたちの街(阿西們的街)』(1981/山本薩夫)

作品自体にたいするものというよりも、ロック調の主題歌が中国の若者たちの心をつかんだということが大きかった。中国のロックミュージシャンの草分け的な存在である崔健も、コンサートにおいてこの歌を好んで歌ったという。(p.49)

……意外な作品がヒットしますね。


ˆ¤‚ÆŽ€(生死恋)』(1971/中村登)

ダフ屋の売るチケットの値段は定価の数倍に跳ね上がり、どの映画館でも栗原小巻のファッションを真似たラッパズボンをはいた恋人同士で賑わった。(p.57)

映画のなかで彼女が提げたバッグもまた、役名にちなんで「夏子のバッグ」と名づけられ、人気商品となったのである。(p.58)

雪景色、梅林、森、海辺などを背景として、派手なスカーフを手に、はにかみながら走り去る恋人の女性を、後ろから男性が追いかける様子を、さらにスローモーションで撮影するといった、少々気恥ずかしくなるようなシーンが、当時の中国映画のなかに頻繁に出現するようになったのである。(p.62)

「真知子巻き」「サブリナパンツ」「セシルカット」「へプバーン刈り」を連想しました(←古過ぎ)。


»‚ÌŠí(砂器)』(1974/野村芳太郎)

加藤剛のもみ上げの長い髪型や、サングラス、背広の襟からシャツを大きく引き出した恰好が多くの若者に模倣された。(p.70)

善悪の二項対立図式に収まらない複雑なキャラクター造形もまた、当時の観客にとって衝撃的であった。(p.70)

とりわけ、そこでの「宿命」の主題にたいして、息苦しくなるほどの重圧感を覚えた。(p.65、ネットでの回顧談)

すなわち、文革期の<父親殺し>の記憶と、「下放」による苦しみを引きずりつつ、新たな父親像を模索していた精神的な「孤児」としての彼らは、とりわけ主人公の和賀英良が『宿命』を演奏しながら、貧しい親子が放浪の旅のなかで受けたさまざまな差別や迫害を振り返るクライマックスの場面にたいして、みずからの「宿命」を想起しつつ共感したのではないだろうか。(p.73)

北京ヴァイオリン』への影響…なるほどです。
海を超えるハシモティズムの底力。


さらには健さんや百恵さんの人気の分析、
おしん(阿信)』『燃えろ!アタック(排球女将)』の影響力、
文革期最中の軍国主義批判キャンペーンで上映された『‚ TŠCŒR』…
などなど…。やっぱりこの本買います。



なんか不思議な歌詞に…。